マシューとさようならする一週間前に、車に乗ってお花見に行きました。
最近、何をしても、これが最後になるかもしれないと思っていましたが…
心の片隅では、マシューがもっと耐えてくれそうな気もしていて…
マシューが元気だった頃、毎日散歩していた小平霊園へ。
桜がまだ結構残っていました。
車から下ろしたマシューは、すでに疲れ顔でしたが、
草から、友達の匂いを探したりして、少しは楽しんでいるようすでした。
止まっているときもありましたが、少し歩いてくれました。
お花見写真は、マシューが私達のそばから離れる前には見てなくて… あとで見て胸が痛かったです。
この写真は、無理して笑ってくれたような気がして切なかったです。
帰り道の車では、疲れ切った姿で抱かれて寝ているマシューの写真がありました。
二日前の水曜日には、私のはんてんをしいてあげました。
このはんてんが、最後のマシューのふとんになるとは思わなかったです。
前日も、クロちゃんが来ていました。
クロちゃんが、元気な声と表情でマシューの前をうろうろしても
マシューは、反応がほぼなく、じっとしていました。
死と戦うことで精一杯だったと思います…
前日の午後、夫がいちご大福と団子を買ってきました。
久しぶりのいちご大福が嬉しくて写真を撮っていたら、マシューがやってきて、椅子に寄りかかってじっとしていました。
これが、マシューがあの世に行く前に撮った最後の写真。
私は、いちご大福の写真を撮るより、
近くに来たマシューをすぐに抱いて、よしよしと愛情いっぱいでなでてあげるべきでした。
振り返ってみたら、最近のわたしは心の余裕がなさすぎました。
自分が集中して作業しているときに、看病で中断されると、いらいらしている時もありました。
土曜日の朝、マシューが息を引き取った時に、優しくしてあげたことより、優しくしてあげなかったことばかり思い浮かび、泣きました。
もっと笑顔で、マシューをたくさん抱いてあげれば良かったと後悔をしました。
息を引き取る直前、マシューは庭でおしっことうんちをしましたが、
いつも、写真のところでおしっこをしているときが多かったのに、最後の日は、もっと進んでドアと柵のところに頭を挟んで、壁によりかかりながらしたそうです…
本当に、最後の力を振り絞ったようで… 切なかったです。
夫は、家に入れる前にマシューを抱いて、足を拭いてあげるときに、マシューの目を見て最後の会話をしたようだと言いました。
ぼく、うまくできたよね。 というような表情だったと。
マシューのリードを持って、よく散歩していた道を歩きました。
火葬する前に、最後にマシュー抱いた時に実感しました。
マシューがもうこの体から離れて行ったことを…
普段、抱いていた時にも完全に力を抜いていたように見えましたが、抱かれやすくどこか力を入れてくれていたようです。
いつもと全然違う感じでした。
そんな実感があったせいか、思ったより冷静にマシューの骨と向き合うことができました。
散歩中に、水を飲みたいとマシューの足が止まった場所。
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水を飲んでいる途中に、チューもよくしてくれました。
マシューと寝転がっていたベンチ。
桜もまだ残っていて、散ったあとの桜の花びらも地面にいっぱい。
マシューはわが家の一番大切な花でした。その花が散ってしまい…
でも、外を歩いてみたら、
ツツジなど、明るい色合いのお花がいっぱい咲いていて。
藤が綺麗に咲き始めていて。
4月の緑と日差しが眩しくて…。
過ごしやすい季節に、マシューがそばを離れて行ったことさえ、胸が痛かったのですが、
この季節の天国のような風景を見ていたら、マシューも温かいところにいるような気がして気持ちが安らぎました。
この季節も、マシューが私達にくれたプレゼントのように思えてきました。
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私がマシューと最後の会話をしたのは、心臓が止まる5時間前。
朝5時くらいに、マシューの足音で起こされて、居間を見たら、マシューが冷蔵庫の前にいたので、何か食べたいのかなと思って蒸しておいたサツマイモをあげました。
レンチンで温めて、フォークでほぐしたものを、ふぅーふぅーと少し冷ましてあげると、早く~!早く~!と、首を私に押し出して…
世界一美味しそうに食べたあと、水をごくごく飲んだマシューの顎にはいつものようにたっぷりと水がついていて。
タオルでいつものように顎をふいてあげたことが、最後のマシューとの温かい思い出になりました。